広島の学校裏事情

生育広島。広島教育並列学校裏事情記

私立広島学院中学・高等学校の裏事情

私立広島学院中学・高等学校の裏事情
寸評「痣となった名門校の烙印」

 

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2020-01-05 google Earthより

 

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広島市西区に位置する。

 

個人的おすすめ度 13点 / 100点

 

 

この学校についての出典は関係者(本人、在校生保護者、卒業生、中学受験塾講師)によるものとする。

 

かつては広島県随一の進学校であった。私が当事者であったころ、東大合格ランキングで全国にも並ぶ勢いがあった。しかし、近年の合格率は低空飛行だ。

具体的な数値を見てみよう。

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平成12年(2000年)の合格者数は36人だったのに対して、平成30年(2018年)の合格者はたったの12人。3分の1に迫る縮小ぶりだ。

 

これには二つ理由がある。

 

一つ目は少子化における学院受験層の変化。「層の変化」と緩やかな言葉で表現したが、実際にどういう意味を主張したいかは読者の皆様で判断していただきたい。

学院は完全中高一貫校を謳っている。完全中高一貫校とは高校での入学を募集していない学校のことである。進学率の高い学校に見られる特徴だ。

では学院中学の希望者数はどのように変化しているだろう。かつて平成20年(2008年)の学院中学校を希望した児童の数は813人だった。その翌年は800人である。

最近はどのように変わっているのだろう。平成31年(2019年)の希望した児童は644人。昨年は669人である。激減ともとれる数値の水位だ。また近年では受験者数が減っているのにも関わらず合格者を増やしている。倍率の大幅な低下が見られる。これでは学校の生徒層が変わるのも無理がないだろう。平成4年時点では倍率が5倍近かったものが、近年では2.5倍。

昭和世代のお父さん方は驚くだろうが、今は生徒層が違うのだ。

 

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現在、中学校にお子さんを通わすある母親はこう語る。「昔は修道と学院は全国区だったですけど、いまは少子化で・・・」この言葉が端的に学院の潮流を物語っているだろう。

 

もう一つの東大合格者数についてのからくり。それは学院に通わす家庭の事情。

東大合格高校ランキングで上位となる10校のうち8校が関東の高校だ。関東の私立高校に通わす家庭の大半は経済的な余裕があることは統計的にも明らかである。そのうち、私の邪推にはなるが、そういった学校に通わせる家庭の職業は大企業の幹部も少なくない。

では、広島学院もとい、広島の私立進学校に通う家庭の職業は何が多いだろうか。群を抜いて多いのが医者、とくに、開業医である。彼らは手に職を体現した現実家だ。東大からの官僚、東大からの企業、東大からの起業、等の夢物語は描かずに、医師免許という確固たる算術を息子に託す。

学院の東大合格者が軒並み低下しているのは、広島で裕福な家庭を目指す場合、医者という選択しか存在しない、という地方都市の悲しい性を結集した結果だと考えられる。

このような学院の東大進学率が低下するからくりには二つの事情があった。

 

ではそのことを学院自体はどう思っているのだろう。結論から言えば非常に苦々しく思っているだろう。

ある卒業生は語る。「学院はイエズス会キリスト教)で社会の底辺には用がない」「社会の上層部、指導者となる人を教えたがる」つまりキリストの教えを扇動力のある人物に託して、敷衍していこうというスタイルなのだ。

つまり開業医としてお金を稼ぐよりも、官僚として国家の中枢に組みいることをイエスズ会は望むのだ。現在の医学部重視の潮流はけして心地よく思っていないだろう。前述の文系教員の言葉がいまなら分かる。

ちなみに、私立大学医学部は併願が可能なので、進学率や学校の教育水準を測るうえでの指標とはなりにくい。進学高校においては、第一志望が多い東大合格率が一番の目安なのである。 

 

私は今なら思う。私学の高い学費を払って、塾まで通って、私立の医学部に行くなら、公立高校に通い来るべきときに備える方が得なのではないかと。もちろん、高校受験の後に大学受験を控えるのが厳しいであるとか、地方都市での医学部人気を目の当たりにモチベーションを上げたいであるとか、理由があれば学院の進学も止めはしない。

 

正式な統計は発表されていないが、この学校は保健室登校がかなり多い。また当時、保健室の教員をしていたものが「私のおかげで学院は優秀なの」と豪語する等、その増長ぶりが目立っていた経緯から、学会から破門となったこともある。

 

かつてある少年の身内に不幸があった。少年は担任教師から「大変だったね」と声をかけられることを期待していたという。

しかし、実際に声をかけられたのは「成績落ちたね」「転学という手もあるからね」その二言だけだったという。

隆盛を誇った学院の進学率は、かような思春期の涙を黙殺していたのである。